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日本大学 沢田拓郎さん 卒業制作を振り返って

第36回レモン展出品作品の中から日本大学理工学部建築学科 沢田拓郎さん(Tokyo Public ー広場、都市、そして建築へー)に制作中の思い出などを振り返っていただきました。レモン画翠では出品パネルの一部を店舗ウインドウに展示しております。ぜひご覧いただければと思います。(2013年12月)

卒業制作が終わり半年以上たった今、「今」にとっての「卒業制作」は何であったのかと考えると、一番大きいのはデザインの原点に戻ったことです。卒業制作は学部4年間の集大成であると言われていることは常に念頭にあったので提出が近くなるにつれプレッシャーが大きくなっていったのは今でも思い出す程です。

『シンプルなきっかけ』
学部3年の夏休みに毎年恒例である海外研修旅行というヨーロッパの都市と建築を約3週間かけて周る旅行に参加しました。スペイン、イタリア、スイス、フランスに訪れ、豊かな都市環境を目にしました。都心近くの東京で生まれ東京で育ってきた私にとって初めてのヨーロッパの都市は非常に新鮮で感銘を受けたのを覚えています。シンプルなこの体験を放置するのではなく、東京と何か違うといった単純であることに真剣に向き合うことが大事なのではと思い卒業制作のテーマに繋がりました。

『敷地選び』
大学4年の前期は設計課題があり、本格的に卒業研究に取り組み始めたのは夏休みの終盤頃でした。日本には真のパブリックスペースがないと言われている今日、都市の一部をなすパブリックスペースは日本において創ることは可能なのかと日々都心の雑多としている敷地を探しては見つからない日々が続きました。

そこで日本のパブリックスペースの原点に立ち返ってみると少し行き先が見えてきました。江戸時代、日本には「道」というパブリックスペースが存在しており、人々のアクティビティが道を通して江戸の街全体を活気づけている風景がありました。モータリゼーション以降から現在にかけ、人々の道が車などの交通の道へと変貌してしまい人々の居場所が失われてしまい現在の東京の風景を形成するようになりました。そこで道路というインフラがパブリックスペースの1つのキーワードとして導き出され、新宿のとある道路を発見しその周辺を敷地として選定することにしました。


『道路というパブリックスペース』
もともとパブリックスペースを担っていた道は道路になって今では都市の中心は人々でなく車となっています。私が見つけた敷地は「道路」と「道」の中間的な位置づけになっていてそれを建築によって「道」として、それも「現代的な道」として生まれ変わらせようと考えました。どうしても建築は土木的なインフラなどに関与することが難しい現在の状況を、インフラに直接的な建築的操作を与えずにいかにパブリックスペースへと生まれ変わらせることができるのかが重要だと考えました。

『2つのアイデア』
その道路を挟んだ2つの敷地は私が今まで設計課題で経験したことあるものより遥かに広く規模が大きいものでした。初めはその規模に対してどう取り掛かれば良いのか戸惑いましたが敷地のポテンシャルが高かったため、比較的早い段階で手法を決定できました。1つは建築に道路を引き込み、既存の道路を広場として扱うというものと、2つめは引き離された敷地に対して加算・減算といった対比関係を形態的に表し関係づけさせることでお互い建築内でのパブリックの空間と広場との関係のあり方が異なる形態をとることができました。

ですが先ほども述べた通りこの規模に対して手法は決定したものの、なかなか進まず、スタディを繰り返しては駄目になりといったことが続き、提出が近づくにつれ時間がなくなり焦りを感じてきました。


『卒業設計を終えてから』
卒業設計を終えてから自分の建築観が変わっていきました。私は卒業設計が終わるまでのプロセスよりも終わってからのプロセスの方がデザインの原点に戻るきっかけとなったことで重要であったと感じています。様々な卒業設計展、そしてレモン展に出展させて頂き、多くの人に見てもらう機会と多くの先生に見てもらい今まで内に留まっていたものが見え、様々な課題が生まれました。そういった意味で卒業設計を完成させるまでに手伝ってくれた後輩、アドバイスしてくれた先輩、絶望的になっていた時に支えてくれた両親や、そして指導してくれた先生など多くの人が支えになって最後まで成し遂げ先に進むことができたのでこの場を借りて改めて感謝したいと思います。また、このような貴重な機会をくださったレモン画翠様に心より御礼申し上げます。

沢田 拓郎(日本大学大学院理工学研究科建築学専攻)