HISTORY OF LEMON

レモンの歴史

1923

洋画材商・今井鐵次郎


 

レモン画翠の始まりは大正時代に遡ります。 初代の今井鐵次郎は16歳で洋画材料商の道に入り、大正12年に今のレモン画翠の前身となる「今井鐵次郎商店」を開業しました。 今井はフランスやイギリスからの画材の直輸入とアメリカへの直輸出を行い、最盛時には御茶ノ水と新宿の二店舗で、都内全域の画材店と契約を持つ卸業を営むまでに発展しました。

 

1933

鐵次郎と芸大売店「画翠」


 

昭和8年、今井は東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)の売店を引き継ぐことになりましたが、その頃から戦争による物資の不足で商売は立ち行かなくなり、さらに戦況の悪化で本支店も強制疎開の命令をうけます。 第二次大戦後、自分の店を失ってしまった今井でしたが、幸い売店のあった美術学校が空襲から焼け残ったことを知ります。大学の売店に置かせてもらっていた商品も無事だったことから、商売を再開して戦前のストックを美学生たちに廉価で販売しました。 この売店は、永く芸大の学生や先生方にご愛顧いただき、今も姉妹店「画翠」として、東京芸大内で画材の販売を続けています。

 

1950

喫茶店「レモン」開業


 

昭和25年、のちに二代目となる松永和夫は、当時在籍していた三越デパートの宣伝部を辞め、今井鐵次郎の娘である富美子夫人の希望で、お茶の水駅近くの神田駿河台に喫茶店「レモン」を開業しました。 名前の「レモン」は、学生街・お茶の水の学生たちの「新鮮」というイメージに由来したもの。お客様の目の前で果物を搾って作る「ジュースのお店」として評判を呼び、連日大盛況の人気店となりました。 その後、富美子の希望で喫茶店の半分を使って画材の小売を始めることになり、今井の屋号である「画翠」をつなげて、「レモン画翠」というユニークな名前のお店が誕生したのです。 周囲にデザイン関係の学校が多かったため、画材店はいつも満員の盛況ぶり。昭和30年にはイタリアで学んできた境沢孝氏に店舗デザインをお願いし、喫茶店と画材店との境界を全く排除した内装に変えました。今となっては良く見かける形態ですが、当時同じ空間の中で異なった業種が商売をするという発想は斬新で、試みたのは多分「レモン画翠」が初めてだったのではないでしょうか。

 

1968

最先端のお洒落な喫茶&画材店


 

昭和43年、和夫と富美子は明治大学の裏の駿河台に、レモンの支店として、画材・輸入雑貨販売と食事のできる喫茶店を開業します。 庭にプールのある邸宅を改築した趣のある建物と、本店も手がけた境沢氏によるモダンな内装で、文化学院のお洒落な生徒やアテネフランセの先生方が集う当時の最先端を行くお店。学生たちにはお洒落すぎて敷居が高く感じてしまうくらい憧れの場所でした。「レモンの袋を持っていないと御茶ノ水は歩けない」などと雑誌に書かれるほど、一時はブームのようなものが出来上がったこともあるほどで、「日本のカルチェ・ラタン」と呼ばれた当時の御茶ノ水界隈の中心的存在が、「レモン」でした。 第一線で活躍される一流の建築家やデザイナー、アーティストで、レモン画翠に懐かしさとともに今も特別の想いを感じる方が多いのも、当時学生だった彼らにとって印象深く、影響を与えた店だったからなのでしょう。

 
 
 

1978

建築にいちばん近い画材店


 

昭和53年、現在の5階建てのビルを新築し、総合美術・デザイン材料専門店としての店舗が完成。お客様の良きパートナーとしてコミュニケーションを大切にする姿勢を守り続け、店はお客のニーズに答え、お客は一流のアーティストへ生長するという、商売だけではない画材屋としての理想空間を実現してきました。 元々は絵の具をはじめとする画材を扱ってきたレモン画翠ですが、建築模型材料の輸入、開発にいち早く着手したのも当店でした。特に現在のビルになってからは建築デザイナーのためのコーナーを充実。建築の平面図を立体で具現化するための模型材料を取り揃え、「建築にいちばん近い画材店」を自負する品揃えで、建築家や建築を志す学生の方々にご愛顧いただくまでになりました。

 

1987

レモンの新ビル建設


 

その後、昭和62年になって、現在の「レモンパートⅡ」ビルへの建て替えとともに、現在のトラットリアレモンを開設。当時主流だったデザインだけの内装ではなく、ヨーロッパの建築のように年月を経ても味わいのあるデザインを求め、工芸家の西野和弘氏の手による胡桃の木とアイアンを組み合わせた落ち着きのある内装としました。イタリアンレストランとなったトラットリアレモンですが、喫茶レモンの時代から愛されていたフレッシュジュースや和風パスタは、今も人気メニューとして健在です。

 

2000〜

一貫して変わらない、アートを支えるという姿勢


 

思えば、多彩な経営者がレモン画翠というブランドを創って来ました。初代の鐵次郎は、画材一筋のプロフェッショナルとしてアーティストたちを支え、芸大出身の洋画家でありデザインにも明るかった二代目の和夫、児童文学の翻訳家でビジネスにおける革新家であった富美子は、今のレモン画翠を形づくりました。三代目の松永太郎も母親の血を引く翻訳家として幅広いジャンルの翻訳を手がけ、多摩美術大学では人気の英語講師でもありました。2010年に太郎の急逝後は、夫人であり日本建築学会理事を務めた松永直美が4代目として社業を受け継いでいます。 レモン画翠を創ってきた彼らは、それぞれ個性は違いますが、アートを支えていくという姿勢は一貫して変わらないものでした。 時代はどんどん簡略化に流れています。すべてをよりスマートに、簡単にというベクトルの中で、レモン画翠はあえてその逆を大切にしていきたいと思っています。 たとえば、キャンバスに絵の具をのせて何かを表現すること。 CADだけでなく、立体的な建築模型を組み立てて建築をデザインすること。 手を使って生み出すからこそ生まれる「何か」がそこにあります。 何かを生み出したいという欲求を持つお客様へ、創造のためのツールを提供し続けていくこと。 それが、今までも、これからも変わらないレモン画翠の使命と考えています。