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2015年2月23日
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芝浦工業大学 早船雄太さん 卒業制作を振り返って

第37回レモン展出品から芝浦工業大学工学部建築学科(2014年当時)早船雄太さんに「破城から、 ー成熟社会の都心における児童館の設計ー」制作中の思い出などを振り返っていただきました。

■はじめに
本稿では、卒業制作を終えてから、卒業制作の作品に対してではなく、卒業制作をしていた自分を客観視して、感じたことをお話します。

■卒業設計の概要
敷地は東京都青山の、幹線道路から少しだけ奥まった場所にしました。プログラムは、2015年に閉館する「青山こどもの城」という児童館を主体とした児童教育施設コンプレックスの再構成、再建です。よって端的に言えば児童館ということになります。

■テーマについて
こどもの城の閉館からも分かる通り、現在、児童館がそのプログラムを社会のなかで保っていくには厳しい現状があります。日本の戦後復興期から今まで、日本は経済的成長に重きを置いて政策を行なってきました。大人主導の経済社会の中において、児童館は対極的なプログラムではありますが、それでも成長する経済に相乗りする形で児童館は存続してきました。しかし経済成長が飽和しつつある現在、それら経済に支えられてきた児童館というプログラムが弱者となりつつあります。採算が取れないというこれもまた経済的な理由で、児童館が全国的に消滅していっています。

そこで私は、経済一元の社会から、多様化する社会への変革期にある現代において、多様化する社会によって支えられ今後も存続していく児童館のあり方を提案することにしました。そのため私は多様な社会を包容する土台、建築というよりはインフラに近いものをこの場所に計画しています。今のこどもが大人になった時、懐かしい場所が一掃されている未来があっては悲しいと思いました。私がこのテーマを選定した最も大きな理由です。

■作品について
幹線道路沿いのいわば”ハレ”の空間と、そこから一歩内側に入った街区内部の”ケ”の空間。その異なる用途、時間軸をもつふたつの空間を、なだらかに繋げる”都市の丘”をつくり、全ての要素を取り込むことができる場所をつくりました。そこにこどもの場所を各所に配置することによって、今後も失われることのない児童館のあり方を提案しました。

具体的にはかなり広い現状の敷地の場所性を観察や計測をもって読み取り、分析してひとつのコンターをつくっています。そのコンターを反映するように、段階的に空間が変化するようなユニットを敷地全体に配置していきます。敷地のポテンシャルがそのまま隆起したような造形物を造り出すことにしました。

■迷い対策
はじめ余りにも強い造形をもつこの作品には賛否両論があるだろうとは考えていました。トレンドという形で漠然とですが、卒業制作の評価軸に対して認識を持っていた中で、自分とこの作品が二人三脚で歩んでいくことには不安がありました。だからこそ私は、様々な作品の中で、自分が得意な造形力と、その結果生じた空間性に関しては学内で最高の評価を目指そうと思い卒業制作に取組んでいました。

■嘘をつかない
卒業制作どうすればいいですかー。との悩みを、後輩の方から多く聞きます。いつも自分は、「嘘をつかないこと。」と話します。卒業制作は設計だけではなく、目指す社会のビジョンの提案など、総合力が求められる課題です。しかし同時に、建築学生にとって最大の自己表現の場であってほしいと思います。だからこそ自分の自信のあることや得意だと思うこと、情熱が向かうところに対して貪欲に、躊躇なく進んでいってほしいと思っています。作品の中に迷いがあることが、良い作品を作ることへの一番の障害だと思っています。

■卒業制作を終えてからの学び
今現在、卒業制作を提出してからの方が卒業制作に対して考えることが多くなりました。卒業制作を通して自分を理解することができるからです。卒業制作において、自分の建築に対する考え方や取り組み方が作品に少なからず露出すると思います。

私は幸運な事に、作品を様々な展覧会に出展し、様々な方々からたくさんの意見を頂くことができました。面白いことにその意見は本当に千差万別で、しかも毎回納得させられるものです。私は、自分性を作品に強く反映しているからこそ、”作品に対する” 叱咤激励が ”自分自身に対する” 叱咤激励に置き換えられる気がしています。そして毎回それらが私にとって大きな学びとなっていることを感じています。そういった意味でも自分に嘘をつかないで卒業設計が楽しめたら最高なのだと思っています。

■おわりに
私が在籍していた芝浦工業大学には偉大な先輩がたくさんいました。常に彼らの卒業設計が私の中のライバルで、私にとって大きな刺激であり、最高の参考作品となっていました。ですから、同じように私の卒業設計が未来の学生にとって、良くも悪くも「あの代のあの先輩のあれ」となったらいいなと思っています。だからこそ卒業設計は自分のためだけではなく、自分の学校、日本の社会のためにも同時に存在するものだ、ということを頭の片隅に置きつつ、これから卒業制作に挑む方々には是非頑張って頂きたいと思っています。